千葉地方裁判所 平成5年(ワ)2540号 判決 1996年6月17日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成六年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
(事案の要旨)
本件は、産業廃棄物等の処理業者である原告が、弁護士である被告に対し、原告は産業廃棄物等の最終処分場を保有する建設業者(日産建設工業株式会社)に対する原告の搬入権を被保全権利とする汚泥搬入妨害禁止等仮処分の申請手続等を被告に委任したが、被告が右委任契約に基づく債務を適切に履行せず、このため右搬入権を侵害され、財産上の損害(得べかりし利益の喪失)を被ったとして、損害金一億三六七九万五〇〇〇円の内金二〇〇〇万円及びこれに対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
右仮処分申請事件は、仮処分決定が出された後、債務者(日産建設株式会社)から異議が出され、異議手続において裁判上の和解が成立したが、原告が本件において被告の委任契約の債務不履行として主張するのは、(1) 和解成立に当たって原告の利益を擁護する方策をとらず、かつ、和解の内容等を原告に説明しなかった、(2) 和解成立後、その履行状況を監督する方策をとらず、また、原告の利益に反する行為をしたというものである。
(事案の概要)
争いのない事実及び証拠等により認められる事案の概要は、以下のとおりである。
一 本件仮処分及び和解に至る経緯
1 原告は、産業廃棄物等の処理を目的とする株式会社であり、被告は、千葉県弁護士会に所属する弁護士である(争いがない。)。
2(一) 日産建設工業株式会社(代表取締役篠塚浩一。以下「日産建設」という。)は、賃借した土地上に、別紙建設汚泥処分場目録記載の産業廃棄物建設汚泥最終処分場(以下「本件最終処分場」という。)を保有し、千葉県知事に対し産業廃棄物処理業の許可申請をしていた(争いがない。)。
(二) 原告の現在の代表取締役稲田一男の弟の稲田正次は、昭和六一年一一月二八日、日産建設との間で、日産建設が行う産業廃棄物処理業務のうち運搬業務一切について、稲田正次が独占的に搬入できることとする代わりに、稲田正次が日産建設に契約金四〇〇〇万円を四回に分割して支払う旨の業務委託の基本契約(以下「本件基本契約」という。)を締結した(争いのない事実)。
本件基本契約には、本件最終処分場への原告の独占的搬入権及び委託搬入業務の遂行について、以下の趣旨の定めがあった。
(1) 日産建設は、原告に委託した運搬業務に関しては、日産建設自らがこれを行うことはもちろん、原告以外の第三者に委託してはならない(第三条)。
(2) 原告は、あらかじめ日産建設の承認を得なければ、本委託業務を廃止あるいは休止することはもちろん、第三者に代行させることもできない(第四条)。
(三) 稲田正次は、昭和六一年一二月一八日、原告会社を設立して代表取締役となった。
そして、稲田正次ないし原告は、日産建設に対し、約定どおり昭和六二年三月一〇日までに四回に分割して(二)の契約金四〇〇〇万円を支払った(もっとも、稲田正次は途中で資金がなくなり、最後の分は兄の稲田一男が負担した。)。
さらに、同年三月一三日、本件基本契約上の地位を稲田正次から原告が承継し、同年一〇月には、稲田一男が原告の代表取締役となり、稲田正次は原告から離れた。
3 昭和六三年一月五日、日産建設に対し、最終処分場を本件最終処分場として、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下「廃棄物処理法」という。)一四条一項に基づく千葉県知事の許可がなされ、原告の本件基本契約に基づく独占的搬入権が具体的に発生した(争いがない。)。
4 日産建設は、昭和六三年二月一日から本件最終処分場の使用を開始したが、原告が本件基本契約に基づく搬入を行わないから本件基本契約を解除したとして、日産建設の関連会社の日正建設株式会社(代表取締役は篠塚浩一の父篠塚正男)等の第三者に本件最終処分場への運搬業務を委託して、原告には右運搬業務を行わせなかった(争いのない事実)。
5 そこで、原告は、昭和六三年二月二六日、被告に対し、日産建設に対する汚泥搬入禁止の仮処分及びこれに関する和解その他一切の訴訟行為を委任し、着手金五〇万円を支払った(争いがない。)。
被告は、原告の代理人として、昭和六三年二月二九日、日産建設を債務者とする汚泥搬入禁止等仮処分を千葉地方裁判所に申請したところ(昭和六三年(ヨ)第一〇九号仮処分事件、以下「本件仮処分事件」という。)、同裁判所は、同年三月一一日、原告に金一〇〇万円の保証を立てさせて右仮処分申請を認容する旨の別紙の内容の仮処分決定を発した(以下「本件仮処分」という。)。
6(一) 日産建設は、昭和六三年四月四日、本件仮処分決定に対し、仮処分異議を申し立てるとともに(昭和六三年(モ)第五五二号仮処分異議申立事件)、あわせて、本件仮処分の執行停止を申し立てたところ、右執行停止事件において裁判所から和解勧告がなされ、四月一五日、一九日、二六日、二七日、五月二日、一〇日、一一日にそれぞれ和解期日が開かれ、五月一一日に和解が成立した。これらのうち四月一九日と四月二六日以外は、和解成立の日を含め、原告代表者も被告とともに裁判所に出頭した。
(二) 原告は、被告に対し、昭和六三年五月二日、裁判上の和解について次のとおりの内容とするよう文書で要望した。
「(1) 当社(原告)は業務委託契約(本件基本契約)どおり自由に処分場(四街道)に搬入することができる。
(処分料の内一五パーセントが当社の取分である。)
(2) 日産建設工業(株)が独自に搬入する場合は必ず当社(原告)の許可を必要とする。
(又、処分料の内七・五パーセントが当社の配当とする。)
(3) 搬入に関する契約(三者契約)については余程の悪条件でない限り両社共に最大限に協力すること。
(4) 事務所(処分場内)設置については搬入作業の管理の必要上認めること。」
(三) 昭和六三年五月一一日、原告と日産建設との間で、裁判上の和解(以下「本件和解」又は「本件和解契約」という。)が成立した。その和解条項は、別紙和解条項のとおりである(以下「本件和解条項」という。)(争いがない)。
二 本件和解成立後の状況
1 本件和解後の原告の対応
原告代表者は、昭和六三年五月二九日、被告に断りなく、日産建設との間で、「本件最終処分場への搬入は原告と日産建設相互に自由に行うものとし、搬入期限は本件最終処分場の許可満了時又は埋立完了時とする。本件和解よりもこの契約を優先する。」などと定めた契約書を交わし、本件和解内容を修正する契約を締結した。
もっとも、原告代表者は、その後日産建設から右契約書を取り戻して、×印を付けた。
2 日産建設の違反行為と被告の対応
(一) 日産建設は、本件和解成立直後、同社の独自の集客による搬入自動車台数を二五〇台までとする別紙和解条項一の9の制限を大幅に超えて、原告以外の運搬業者に本件最終処分場へ建設汚泥を搬入させ、その後もこれを継続した。
(二) そこで原告代表者は日産建設の右行為について被告に報告したが、被告は昭和六三年六月ころ前記1の本件和解の修正契約の締結を知り、これによって原告代表者との信頼関係が失われたとして、代わりに松本新太郎弁護士を原告に紹介した。松本弁護士は、昭和六三年八月九日、原告の代理人として、日産建設に本件和解契約を解除する旨の通知をした。
(三) しかし、右解除後も日産建設が原告以外の運搬業者に建設汚泥を搬入させる行為を繰り返したため、原告代表者は宮下進弁護士に相談して、「本件最終処分場への建設汚泥の搬入は本件仮処分命令に違反する」旨の各搬入業者宛の通知文を作成してもらい、原告代表者がこれを昭和六三年一〇月一二日、日産建設の委託業者である尾山台産業有限会社に発送したところ、被告は右文書のコピーを篠塚正男から入手し、同月一八日、右文書に「稲田様にこのようなことをしないよう、お話していただけませんか。宮下先生 甲野63・10/18」と書き込んで宮下弁護士に返した。
3 原告内部の紛争と被告の対応
(一) 原告の株主の中には原告の株式を日産建設に譲渡する者があり、原告代表者が原告の株式を譲渡したかどうかも問題となっていたが、被告は、昭和六三年一〇月一九日、石毛博(当時原告の取締役であった石毛志免の夫である。)及び日産建設から依頼を受けて、原告代表者に対し、原告代表者が昭和六三年九月二日原告の株式二〇〇株を日産建設に金一〇〇〇万円で譲渡した時点で原告の業務を執行する権限を失ったとして、原告の業務(会社印、帳簿類)を日産建設に七日以内に引き継ぐよう催告する旨の内容証明郵便を発送した。
(二) 原告代表者が取締役二名の増員を議題とする原告の臨時株主総会を開催しようとしたところ、被告は石毛志免の代理人として、当時被告と同一の事務所に勤務していた乙山松夫、丙川竹夫両弁護士とともに、昭和六三年一一月一九日、石毛志免を債権者、原告代表者を債務者とする株主総会開催禁止仮処分を申請した(千葉地方裁判所昭和六三年(ヨ)第四九〇号)。
(三) 被告は、昭和六三年一二月一四日、本件仮処分事件における原告の代理人を辞任する旨の辞任届を裁判所に提出するとともに、その旨を原告代表者に通知した。
(四) 平成元年一月一七日、前記乙山松夫弁護士は、日産建設の代理人として、原告に対し、日産建設の業務を妨害する行為一切の即時中止などを要求する旨の内容証明郵便を発送した。
さらに乙山弁護士は、同月一八日、日産建設の代理人として、本件和解に基づいて発生した日産建設の義務が存在しないことの確認を求めて、申立人日産建設、相手方原告とする債務不存在確認調停事件を提起した(千葉簡易裁判所平成元年(ノ)第二五号)。
4 被告に対する懲戒処分の請求と処分
原告は、千葉県弁護士会に被告の懲戒請求をしたが、同弁護士会懲戒委員会は、平成三年三月一九日、被告の本件和解後の行為(前記3の(一)、(二)、(四)など)が、弁護士法五六条一項の「品位を失うべき非行」に該当し、あるいは二五条一項に違反するとして、被告に対し業務停止三か月の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)をした(争いのない事実)。
被告は、本件懲戒処分について、日本弁護士連合会に審査請求の申立てをしたが、右審査請求は平成五年一〇月五日棄却された(日弁連審(懲)第八一二号)。
第三 争点及び争点に関する当事者の主張
(本件の争点)
本件の主要な争点は、次の点である。
一 債務不履行の成否に関して
1 本件の裁判上の和解の成立に関して、被告に委任事務処理に関する懈怠があったか。
2 裁判上の和解成立後の被告の行為に、委任契約上の義務違反があったか。
二 原告の損害の有無・内容及び被告の債務不履行との因果関係の有無
(当事者の主張)
一 債務不履行
1 裁判上の和解の成立に関する委任事務処理の懈怠
(一) 原告の主張
被告は、原告から日産建設に対する建設汚泥搬入禁止の仮処分及びこれに関する和解その他の一切の訴訟行為を受任したのであるから、本件和解をするに当たっては、依頼者である原告の利益を擁護すべく法的に可能な限りの方策をとるとともに、和解内容及びその結果について原告に説明をし、原告の意思を尊重ないしは確認して和解をすべきものであった。
(1) 和解成立に至る過程で原告の利益を擁護すべき義務の違反
ア 前記のとおり、原告は被告に対し、あらかじめ裁判上の和解の内容を第二(事案の概要)一の6の(二)のとおりとするよう要望したが、本件和解条項においては、原告が四〇〇〇万円の投資をして取得した独占的搬入権が大幅に制限されて原告の搬入期間がわずか六か月とされており、しかもその間日産建設も一か月二五〇台の範囲内で独自の集客により建設汚泥を搬入することができることとされている(本件和解条項一の1及び9)。
このような和解条項は、原告が本件基本契約により有していた独占的搬入権を消滅させ、六か月間が経過すれば原告が日産建設に前払いした四〇〇〇万円の契約金を回収することができたか否かにかかわらず原告の搬入権が消滅してしまう点において、到底原告の利益を擁護した内容とはいえない。
イ また本件和解当時、本件仮処分の決定は既に出されていたのであるから、その執行手続をとることは可能であった。
さらに、本件仮処分の決定に先立ち、日産建設が第二(事案の概要)一の4記載のとおり、本件基本契約に対する明白な違反行為を繰り返しており、しかも被告は自ら作成した本件仮処分異議事件の答弁書において右日産建設の違反行為について指摘するなど、これを熟知していたものであるから、仮に裁判上の和解が成立したとしても日産建設が右和解条項に基づく同社の義務を遵守しないであろうことを予測することが可能であった。
したがって、弁護士である被告としては、和解手続の打切りを求めるとともに本件仮処分の執行手続をとるとか、和解を成立させるにしても、和解条項の中に間接強制等日産建設が今後本件和解条項に違反する行為をすることができなくなるような未然の防止策を盛り込み、さらに日産建設が将来本件和解契約の不履行をしたような場合には、原告が直ちに損害賠償の債務名義を取得し、原告の損害を填補することができるように損害賠償額の予定の条項を入れるなどして、原告の損害を可及的に防止することができるようにしておくべきであったにもかかわらず、何らそのような方策をとらなかった。
(2) 説明義務違反
被告は、原告が本件和解の成立について前記(一)の(1)のような要望をしたのであるから、和解手続において提示された和解条項案が原告の要望とその内容において大きく異なっている場合には、原告に対しその相違点及びそれについて互譲がなければ和解の成立が困難なことや訴訟の見通しなど説明した上で、最終的判断はあくまで依頼者である原告に委ねるべきであった。
ところで、被告は前記のような原告の要望を無視し、本件和解条項が原告の要望と大きく異なっているにもかかわらず、それについての具体的な説明を怠り、長文にわたる本件和解条項の内容について原告に検討する時間的余裕も与えないまま本件和解を成立させた。
(二) 被告の主張
(1) 裁判上の和解は、訴訟の見通しや、双方の利害得失を背景にして、互譲をめざして行われるものであり、一方当事者の希望が全面的に認められるものではない。
本件仮処分異議事件において、日産建設は本件基本契約の成立を認めたものの、本件基本契約に付随する覚書の存在を主張し、原告が覚書に基づく搬入を実行しなかったため本件基本契約は解除されたと主張し、原告は右解除の効果を争ったが、本件仮処分異議事件の帰趨は多分に不安定要素を含んだものであった。
また、右紛争の長期化は、当事者双方にとって望ましいものではなく、双方とも営利追求のため早期の解決を希望していたものであり、原告にとって、本件仮処分に基づき汚泥の搬入を強行するよりも、円満な解決を図ることが今後の搬入の実行に当たっても望ましく、和解の機運は当事者相互間で十分に醸成されていた。
本件和解は、右のような状況の下、担当裁判官の積極的な働きかけを受けて、双方の互譲と納得の上で成立したものである。
(2) 本件和解条項によれば
<1> 債権者の汚泥搬入権は自動車台数の制限なく確保され(本件和解条項一の1ないし12)
<2> 債務者に違反があった場合の債権者の本件和解契約の解除権など制裁条項が確保され(同一の13)
<3> さらに債務者の違反行為についての損害賠償義務も明定されている(同一の17)。
また、本件和解で定められた原告の搬入期間六か月(同一の1)は、双方の紛争の実態、原告がそれまで搬入していなかったという具体的状況、投資資金の額などに照らすと、原告側が不当に譲歩したものではないし、右期間の経過後には原告の搬入権に関する新たな日産建設との協議の余地も残されている(同一の15)。
以上のとおり、本件和解条項は原告の利益を十分擁護したものとなっている。したがって、被告について、原告の利益を擁護すべき義務の違反は存在しない。
(3) 本件和解の成立に当たっては、和解期日は昭和六三年四月一五日から同年五月一一日まで七回開かれたが、原告代表者はほぼ毎回被告とともに出席している。
その上、本件和解条項は、担当裁判官自ら原案の起案をしたものを検討の上、双方の互譲の結果成立したものであり、原告代表者はその経過を十分知っており、その意見も本件和解条項に反映されている。したがって、被告の説明義務違反は存在しない。
2 裁判上の和解の成立後の義務違反
(一) 原告の主張
(1) 和解契約上の義務の履行の監督義務違反
裁判上の和解に関する事務を受任し、和解を成立させた弁護士としては、依頼者に対する信義誠実義務の一環として、後に履行の問題が残る和解条項については、和解の内容が実現されるまで見届ける義務を有する。
特に本件和解においては、和解が成立しただけでは原告にとって何ら見るべき利益はなく、本件和解成立以降昭和六三年一一月末日までの間に本件和解条項の各内容が逐次実現されることによって、初めて原告に実質的利益がもたらされるものであるから、被告は本件和解を成立させた原告の代理人弁護士として、原告の利益を擁護するために、和解条項に従って原告の権利の実現ないしは日産建設の義務の履行等を求める措置をとるべきであったのに、何らそのような措置をとらなかった。
その結果、日産建設は本件和解成立直後から本件和解に違反する行為を継続し、原告はその対処を被告に依頼したが、被告は他の弁護士を原告に紹介したにとどまり、何らの法的手段をとらなかった。
(2) 裁判上の和解成立後の背信行為
さらに、被告は原告の本件仮処分事件及び本件和解に関する委任契約の趣旨に違反し、次のとおり原告の利益に反する行為をした。
ア 第二(事案の概要)二の2の(三)記載のとおり、日産建設は本件和解契約解除後も本件仮処分命令に違反して各運搬業者に本件最終処分場への建設汚泥の搬入をさせていたので、原告は右違反行為を防止しようとして、宮下弁護士を通じて各運搬業者宛に当該搬入が本件仮処分命令に違反する旨の通知文を発送したが、被告は、原告に対しこのような行為をしないようにと求めて圧力を加え、原告が投下資本の回収努力をすることを妨害した。
イ また、被告は、日産建設の利益を図るため、第二(事案の概要)二の3の(一)、(二)記載のとおりの各行為をし、また被告と同一事務所に勤務し被告の指揮監督下にあった乙山弁護士に同(四)記載のとおりの各行為をさせるなどして、原告の利益に反する行為をした。
(二) 被告の主張
(1) 本件仮処分における被告の委任契約上の義務は、本件和解が成立したことにより終了しており、本件和解成立後は、被告には原告が主張するような代理人としての義務は存在しない。
(2) 本件和解成立により当然に代理人としての義務が消滅するものではないとしても、原告代表者は、第二(事案の概要)二の1記載のように、本件和解成立後、被告に無断で本件和解の修正契約を締結しており、これを知った被告は直ちに原告代表者に対して本件仮処分に関する委任契約を口頭で解除した。したがって、被告には原告主張のごとき本件和解成立後の日産建設の義務履行の監督義務はない。
二 損害及び因果関係
1 原告の主張
(一) 本件基本契約によれば、原告は独占的搬入権に基づいて、産業廃棄物を排出者から処分費一立方メートル当たり四〇〇〇円で受け入れ、これを本件最終処分場に最終処分費三五〇〇円(本件和解契約による)で搬入することができたから、一立方メートル当たり五〇〇円の利益をあげることができたことになる。
そして本件最終処分場の容積は一三万六七九五立方メートルであり、最終処分場に搬入される建設汚泥の固形分は、最大限で体積の二分の一である。したがって、原告は、本件最終処分場の容積の二倍である二七万三五九〇立方メートルの建設汚泥を搬入することができたものであり、仮に独占的搬入権の侵害を受けなかったならば、一億三六七九万五〇〇〇円の利益をあげることができた。
ところが、被告が前記一の1記載のとおり、本件和解の成立に当たり委任契約の趣旨に従い原告の利益を十分擁護すべく行動しなかったため、原告は本来得ることができたはずの右利益相当額の損害を被ったものであり、右損害は被告の委任契約上の債務不履行と因果関係がある。
(二) 仮に本件和解成立時の原告の委任事務の懈怠による損害が認められないとしても、本件和解成立後、被告が原告の代理人を辞任するまでに、日産建設の明白な本件和解条項違反に対し、原告の搬入権が侵害されないように、日産建設の本件和解条項に基づく義務の履行を監督する措置を講じておけば、原告は、本件最終処分場が満杯になるまでに一立方メートル当たり五〇〇円の差益を得ることが可能であった。それにもかかわらず、被告がそのような措置を講じないばかりか、原告の利益に反する行動をしたことにより、原告は本来得ることができたであろう一億三六七九万五〇〇〇円の利益相当額、仮にそうでないとしても、少なくとも原告が日産建設に支払った前払契約金四〇〇〇万円及び被告への報酬一〇〇万円、合計四一〇〇万円相当の損害を被った。
2 被告の主張
本件和解の成立に当たり、被告が和解内容について十分原告の権利を擁護したとしても、原告の操業能力や建設汚泥の搬入の需給関係等の点からみて、到底原告の投下資本を回収することができないことが明白であった。
それ故、被告が本件和解成立後原告の利益を擁護すべく行動してもそれ自体全く無意味なことであった。
したがって、本件和解成立時又は本件和解成立後に、被告に原告との間の委任契約に基づく債務の不履行があったとしても、それらと原告主張の損害との間には相当因果関係が存在しない。
第四 争点に対する判断
一 争点一の1(裁判上の和解の成立に関する委任事務処理上の懈怠)について
1 和解における弁護士の一般的義務について
一般に、民事事件において訴訟、保全処分等の裁判上の手続を受任した弁護士は、委任の趣旨に従い、善良な管理者の注意をもって委任者の権利及び正当な利益を擁護し、そのために必要な訴訟活動をすべき義務がある(民法六四四条)。
そして、右義務を適切に履行するために、弁護士が裁判上の手続においてどのような具体的措置を選択すべきかについては、原則として、その専門的知識、経験等に基づき、適正な裁量によって決定すべき事項であり、またそれらの具体的措置につき必ずしも逐一委任者に報告し指示を受ける必要はないと考えられる(弁護士倫理一八条参照)。裁判上の和解においても、和解を求めるか、和解内容としてどのような条項を求めるか、相手方の要望をどの程度受け入れるか、和解の打ち切りを求めるか等については、弁護士の専門的知識、経験に基づく裁量があると考えられる。しかし、裁判上の和解は、当事者の合意によって成立するものであり、しかも判決と同じ効力を有するものであるから、弁護士の裁量といっても無制限のものではなく、弁護士としては、(1) 当該事件の性質や紛争の内容、実態などを考慮して、委任者の利益を擁護すべく可能な限りの方策を検討するとともに(同一九条参照)、(2) 委任者に適宜審理の進行状況を報告し、事件の処理方針について打ち合わせ、和解の内容及びその結果について委任者に説明し、和解の諾否について委任者の意向を十分反映させるように努める義務(報告・説明義務)(民法六四五条、弁護士倫理三一条参照)があるというべきである。
2 和解成立に至る過程で委任者たる原告の利益を擁護する方策を検討すべき義務の違反について
原告は、(1) 本件和解の過程で和解内容に関する原告の要望を記載した書面を交付したのに、成立した本件和解の内容が原告の有していた独占的搬入権を消滅させるものとなっており、また、(2) 日産建設が和解内容を守らない場合の対策が講じられておらず、これらの点で被告は原告の利益を擁護する方策をとっていないと主張するので、以下において検討する。
(一) はじめに
(1) 本件和解条項は、原告の搬入期間が六か月に制限され、その間日産建設も独自の集客により建設汚泥を搬入することができるとされている点において、本件基本契約に基づく権利関係について原告が本件仮処分の申立てにおいて主張した内容よりも譲歩したものであったが、他方、前記搬入期間内では原告の汚泥搬入権につき自動車台数の制限がないこと、日産建設に債務不履行があった場合の同社の損害賠償義務や原告の解除権が明定されていること、前記搬入期間経過後の原告による建設汚泥搬入については原告と日産建設との協議によって定めるとされていることなどの点においては原告の利益を確保する手段もとられているものであった。
(2) 本件和解において、被告が委任者たる原告の利益を擁護すべく可能な方策を検討した結果和解を受諾したものか否かについては、単に係争中の権利関係について委任者が主張している内容や委任者の和解内容等についての要望と成立した和解の内容とを対比するだけではなく、これに加えて、<1> 事件の性質、事案の内容、紛争の経過、和解に至る経過、<2> 和解を打ち切った場合の手続の進行や裁判の内容についての見通し、<3> 紛争の解決方法や和解内容等についての当事者その他関係人の意向を反映させるよう努力したか等の諸般の事情を考慮した上で判断すべきである。
(二) 事件の性質、事案の内容・経過、紛争の帰結の見通しなどについて
(1) 争いのない事実、《証拠略》によれば、本件仮処分から和解開始ころまでの経緯は、ほぼ次のとおりであったと認められる。
ア 前記事案の概要で認定したように、原告の本件仮処分申請に対し、別紙(仮処分決定の主文)のとおり、<1> 日産建設は原告が建設汚泥を搬入することを許さなければならず、原告の搬入を妨害してはならないこと、<2> 逆に日産建設は建設汚泥を搬入してはならないこと、を内容とする仮処分決定がなされた。
イ しかし、本件仮処分決定後、日産建設は、弁護士を代理人として、仮処分決定に対する異議申立てをするとともに、仮処分の執行停止申立てをし、本件仮処分異議事件において次のとおり主張した。
(仮処分異議事件における日産建設の主張)
昭和六一年一一月二八日の本件基本契約締結に当たり、稲田正次と日産建設は、口頭で、本件基本契約における原告の搬入業務の量及び最終処分費について、<1> 本件最終処分場についての千葉県知事の許可があり次第、原告は直ちに搬入業務を開始すること、<2> 原告は一日当たり三〇台分以上の運搬業務を消化すること、<3> 原告が日産建設に対し建設汚泥一立方メートル当たり四〇〇〇円の最終処分費を支払うこと、<4> 原告が一か月以上搬入しないときは、日産建設は他の業者に搬入させることができることなどを合意し、同年一二月二〇日、原告(当時の代表者稲田正次)と日産建設はその内容を確認する覚書を作成した。
ところが、昭和六三年一月五日に本件処分場に対する千葉県知事の許可がなされたにもかかわらず、原告が本件基本契約四条に違反し、建設汚泥の搬入を実行しなかったため、これを放置すれば日産建設は莫大な損害を被るので、本件基本契約を解除した。
日産建設は、右のように主張し、主張を裏付ける疎明資料として右覚書(本件における乙第一八号証の一一)その他を裁判所に提出した。
ウ これに対し、原告(代理人被告)は、<1> 右覚書は偽造書面であり、日産建設の解除は無効である、<2> 本件処分場の許可後原告が搬入できなかったのは、日産建設が許可が出た後もそのことを原告に知らせなかったためであり、また、原告は本来運搬業者であって廃棄物の排出事業者を知らないので、日産建設が排出事業者を紹介するなどの協力をすべきなのにこれをしなかった、<3> 日産建設は昭和六三年ころから原告に無断で密かに第三者による建設汚泥の搬入の受入れを開始し、原告が前記許可の事実を知って原告による搬入の受入れを要求した後もこれを拒んだなどと主張し、疎明資料を追加した。
エ そして、原告側も日産側も、紛争が長期化すればどちらにも相当の損害が発生することから、紛争を早期に解決して本件処分場を円滑に使用したいと考えていた。
オ このような状態で、裁判所から和解の勧告がなされ、和解期日がもたれた。
(2) (1)に認定したところによれば、本件仮処分異議事件においては、原告の本件基本契約四条違反の搬入業務の懈怠の有無の争点について、原告と日産建設双方の申立ての裏付けとなる疎明資料が提出されていたものであり、和解案の受諾を拒否し、和解が打ち切られたとしても、右争点について裁判官がどのような判断を下すかの見込みは多分に不確定的であり、本件仮処分が取り消される可能性がないとはいえない状況にあったこと、本件最終処分場の搬入容量に照らした原告の投下資金の回収可能性や日産建設の経済状態等の点からみて、本件仮処分に関する紛争の長期化は原告と日産建設双方に著しい経済的不利益をもたらす点で好ましくない状況にあったことが認められる。
(三) 本件和解の成立までの経過、本件和解の内容などについて
(1) 《証拠略》によれば、担当裁判官の主宰の下で、原告代表者、原告の関係者ら及び被告と日産建設代理人との協議・交渉により、別紙「和解案経過」のとおりの変遷を経て、本件和解条項が確定条項となったことが認められる。
(2) 《証拠略》によれば、被告は、和解期日に担当裁判官から和解案(第一次案)を交付された後、右和解案の余白に、一か月ごとの搬入台数や建設汚泥一立方メートル当たりの最終処分費の単価など産業廃棄物処理業に関する実務的知識と関連する事項のみならず、本件基本契約に基づく支払済みの契約金四〇〇〇万円の最終処分費の前払義務への充当の取扱い等の検討事項を書き込み、これらをチェックしながら原告代表者や関係者と打ち合わせをしたことが認められる。
そして、被告は、原告の日産建設に対する支払済みの契約金四〇〇〇万円の回収を確保する手段として、損害賠償額の予定ではなく、最終処分費の前払義務への充当という措置を選択し、右契約金を最終処分費の「みなし前払金」として右前払金に充当する旨の条項(本件和解条項一の2、3)を求めたものと認められる。
(3) また、《証拠略》によれば、被告は、日産建設が差押えの対象となるような資産を保有せず、第三者所有の土地上に存在する本件最終処分場における産業廃棄物処理業の許可を受けていたに過ぎないことから、原告の投下資金を日産建設から回収することを重要課題としており、この見地から和解案の検討、交渉に臨んでいたものと認められる。別紙「和解案経過」の第一次案、第二次案では原告の本件最終処分場への搬入台数の制限があり、また一立方メートル当たりの最終処分費が四〇〇〇円とされていたのに対し、本件和解条項では原告の独占的搬入期間が制限されたものの台数制限は撤回され、一立方メートル当たりの最終処分費も三五〇〇円とされ(ちなみに《証拠略》によれば、昭和六二年一二月時点での千葉県における建設汚泥搬入用の処分場への最終処分費の標準単価は、一立方メートルあたり四五〇〇円であったことが認められる。)、第一次案、第二次案に比べて、最終処分費が下げられた分原告が短期間のうちに高水準の利益(排出事業者からの建設汚泥受入れの際に原告に対して運搬委託費として支払われる金額等と原告の日産建設への最終処分費の支払額との差額)を上げることができるよう配慮された条項になっていることは、被告の右のような判断に基づく日産建設側及び担当裁判官との交渉の結果であると認められる。
(4) そして、《証拠略》によれば、右和解手続において原告代表者は合計七回の和解期日のうち五回の期日に被告とともに出頭したほか、原告の関係者も何回かは出頭したこと、和解期日の際には、ほぼ毎回三〇分程度原告代表者らが被告と事前の打合せを行っていたことが認められる。
(5) もっとも、《証拠略》によれば、原告は、本件仮処分の被保全権利として、本件基本契約に基づく原告の独占的搬入権を主張していたものであり、また、原告代表者は本件和解の過程で被告に対し書面で第二(事案の概要)一の6の(二)のとおり、原告が本件基本契約どおりに本件最終処分場に無制限に建設汚泥を搬入することができること及び日産建設が独自に搬入する場合には原告の許可を必要とすることなどを和解内容とするよう要望していたことが認められるところ、成立した和解の内容は、必ずしも右原告の要望書に符合するものではなかったと認められる。
この点のいきさつは、本件全証拠によっても必ずしも明らかでないが、原告代表者が要望書を被告に渡した後も、その当日を含めると三回和解期日が開かれて和解成立に至ったものであり、原告代表者はいずれも期日に出頭していることなどに照らすと、原告代表者は、右のような要望書を被告に交付しながらも、和解の進行状況、和解の内容等を考慮して、前記のような被告の基本方針や裁判所の和解案に同調し、結局は本件和解を受諾したものと認めざるを得ない。
(6) 次に、原告は、被告は日産建設の本件基本契約違反の行為を熟知しており、裁判上の和解が成立しても日産建設が右和解に基づく義務の遵守をしないであろうことを予測し得たから、和解手続の打ち切りを求めて本件仮処分の執行手続をとるとか、和解条項の中に間接強制等の日産建設の違反行為の防止策を盛り込むとか、損害賠償額の予定を入れるべきであったとの主張をする。しかし、前記のように、日産建設が本件仮処分の執行停止を申し立てたことから本件和解が勧告されたものである。また、日産建設の違反行為を防止する手段は、間接強制に限られるものではなく、本件和解においては、日産建設が債務不履行をした場合の同社の損害賠償義務や原告の解除権が明記されており、右内容では防止手段として不十分であったと判断されるような特段の事情は認められず、間接強制等の措置を入れなかったことが直ちに弁護士の依頼者の利益擁護義務違反になるというものではない。さらに、本件和解条項一の2、3で契約金四〇〇〇万円を最終処分費の「みなし前払金」として充当する旨規定され、投下資金の回収確保が図られており、損害賠償額の予定がないからといって、原告に不利益をもたらすとは必ずしもいえない。
したがって、原告の主張は採用することができない。
(四) 以上に認定判断したところによれば、被告が本件の和解条項を受け入れて和解を成立させたことをもって、当該紛争の解決策として著しく不合理であり、被告の弁護士としての裁量の範囲を逸脱したものということはできないし、原告代表者も和解の進行状況を了知し、和解案を受諾することを了承したといわざるをえないから、結局、被告が本件和解成立に至る過程で委任者たる原告の利益を擁護する方策を検討すべき義務の本旨に従った履行をしなかったことを認めることはできない。
3 報告・説明義務違反について
(一) 前記認定のとおり、原告代表者は本件和解成立に至るまで合計七回の和解期日のうち五回の期日に被告とともに出頭するとともに、ほぼ毎回被告と事前の打合せを行っていたことが認められ、また《証拠略》によれば、被告は通常裁判所の期日での手続について、本人が出頭する場合は口頭で説明し、不出頭の場合は報告書を依頼者に届けており、本件においても同様の説明をしたと推認されること、別紙和解案の第一次案を記載した書面を原告代表者に見せていること、被告は右第一次案の書面のほか本件仮処分異議事件において相手方から提出された書面は全て原告に写しを交付してあることなどが認められる。そして、前記認定のとおり前記被告との打合せには原告代表者のほか原告の関係者らも加わって右第一次案の当否について検討したことなどが認められる。
(二) 以上に認定したところによれば、被告は原告代表者のみならず原告の関係者らも対象として本件仮処分異議事件についての報告、説明、打合せ等を行っており、また原告代表者には本件和解条項での裁判上の和解を成立させるべきか否かの判断に必要な資料は十分に与えられていたものと考えるのが合理的であり、《証拠略》中、右認定判断に反する部分は採用しない。
4 以上により、被告に裁判上の和解の成立に関する委任事務の履行に懈怠があったものと認めることはできない。
二 争点一の2(裁判上の和解の成立後の義務違反)について
1 弁護士の委任事務の範囲について
委任契約において、受任者は委任事務の終了に至るまで善良な管理者としての注意義務を負うが、弁護士が民事事件について訴訟行為を受任した場合には、通常、当該事件に関する一切の訴訟行為、並びに和解その他の裁判上及び裁判外の行為を受任したことになり、右委任事務の終了まで右善管注意義務を負うことになる。
そして、裁判上の和解は、和解が成立し、調書に記載されると、その範囲で当該事件に関する訴訟は当然に終了するという効力を有するから、裁判上の和解が成立した場合には、当該事件についての弁護士の委任事務は、原則として終了するものというべきである。
原告は、裁判上の和解が成立しただけでは委任事務は終了せず、和解の履行の確保も委任事務の内容として当然に含まれると主張する。しかし、弁護士が民事事件の訴訟を受任した場合には、当該訴訟の終了までを受任するのが通常であって、当該民事事件の背景にある訴訟当事者間の利害関係が解決され委任者の利益が確保されるまでを委任事務の範囲とするのは、委任事務の範囲を不明確かつ広範なものとし、当事者の合理的意思解釈とはいえない。また、当該和解調書の条項が具体的給付義務を内容とする場合には、和解調書には執行力が付与されている。これらのことを考慮すれば、和解の内容や委任事項等から和解成立後もその履行確保について当該弁護士が委任契約上の義務を負うとするのが相当と判断されるような特段の事情がある場合は別として、そうでなければ、和解の成立により原則として委任事務は終了し、和解の履行の確保までは委任事務の範囲に含まれないというべきである(なお、訴訟委任状において弁済の受領に関する事項が委任されている場合において、和解で弁済に関する事項が定められ弁護士が受領権限を与えられたと認められるような場合には、弁済受領まで委任事務が終了しないと解される余地があるが、通常は和解成立によって弁護士の委任事務は終了するものと解される。)。
2 本件における委任事務の範囲について
(一) そこで、本件について検討すると、被告本人尋問の結果によれば、被告の受任した事項は、弁護士が保全事件の処理を受任した場合に通常委任される事項と同様の事項、すなわち、保全事件を処理するについて裁判上の行為に関する一切の事項を受任したにすぎず、その他特別に受任した事項があったとは認められない。
また、本件和解の内容は、一回の給付により履行が終了するものではなく、原告が約六か月間にわたり本件最終処分場へ台数無制限で建設汚泥を搬入することを日産建設が受け入れる旨の比較的長期間の履行を内容とする上、和解の履行を確保する手段として、原告の右搬入が拒絶された場合等の本件和解契約の解除条項及び損害賠償の条項が明記されている。
したがって、右委任事項及び本件和解内容から、本件和解成立後本件和解の履行確保をすることをも被告の受任事項とするほどの特段の事情は認められず、本件和解の成立により被告の委任事務は終了すると認めるべきであって、被告には和解内容の履行の確保についてまでの委任契約上の義務はないというべきである。
また、裁判上の和解を成立させた弁護士が委任契約上の義務以外に、裁判上の和解を成立させたことを理由として、委任者に対し、和解の履行の確保について新たな法的義務を負うという見解は、訴訟の委任を受けた弁護士に過度の義務を負わせるものであって、委任契約当事者の合理的意思解釈とはいえず、採用しがたい。
(二) 仮に、和解成立により被告の委任事務が当然には終了しないとしても、第二(事案の概要)二の1、2の(二)のとおり、原告代表者は昭和六三年五月二九日、被告に無断で、日産建設との間で、事案の概要二の1記載のとおり、本件最終処分場への搬入は原告と日産建設相互に自由に行うなどの内容を定めた本件和解の修正契約を締結したところ、被告は昭和六三年六月ころ右修正契約の締結を知り、これにより原告代表者との信頼関係が失われたとして、原告代表者に対し以後は原告のために行動することはできないと告げた上、代わりに松本新太郎弁護士を紹介したものである。
そして、原告が本件和解の成立後日産建設との間で右のとおりの内容で本件和解の修正契約を締結した行為は、本件和解条項所定の原告の権利の実現、日産建設の義務の履行といった、被告が本件仮処分事件等について行った委任事務の処理に基づく利益の享受を委任者自らが拒絶するものであるから、これによって原告と被告との間の委任契約の基礎となる信頼関係が失われたものと解するのが相当であり、被告は、原告に松本弁護士を紹介することにより、原告との関係を最終的に終了させることを告げ、本件仮処分に関する委任契約を解除したものと解するのが相当である(なお、被告は第二(事案の概要)二の3の(三)のとおり、その後一定期間経過後に、原告に対し、本件仮処分事件での原告の代理人を辞任した旨の書面を送付したが、これは昭和六三年六月時点での右口頭による解除の意思表示を確認したものと理解される。)。
そうだとすると、昭和六三年六月ころには原告と被告間の本件仮処分事件に関する委任契約関係は最終的に終了し、被告の本件和解契約に基づく日産建設の義務の履行を求めるなどの措置を採るべき義務は消滅したものというべきである。したがって、右解除後、日産建設が本件和解契約上の独自の集客による搬入台数の制限を超えて他の運搬業者に本件最終処分場への建設汚泥の搬入行為をさせていた違反行為について、被告が原告の権利を実現すべき措置を何ら採らなかったとしても、被告の委任契約上の義務違反となるものではない。
3(一) 右のように、被告の委任事務の処理は、和解成立により、そうでないとしても被告が松本弁護士を紹介した時点で終了したものであるから、その後は、和解内容の履行を確保する等の義務は存在しないというべきである。
しかし、委任事務の終了後であっても、弁護士は、委任を受けていた事件に関し、委任者の利益に積極的に反する行為等をしないという義務を委任者に対して負担しており、委任者の相手方の代理人になるなどして、委任者の利益を害するような行為をすることは許されないというべきであり、このような行為をした場合には、単に、弁護士法や弁護士倫理に抵触する場合があるのみならず、委任の趣旨に反するものとして債務不履行に該当する可能性があるというべきである。
なお、原告は、前記のとおり、本件和解成立後に日産建設と前記のような和解に反する内容の契約を締結しており、これは、被告との信頼関係をある程度失わせるものではあるが、そうとしても、被告が依頼者であった原告の相手方の代理人となって、それまでの依頼者の利益を害するような行為をすることは、いまだ正当化されないというべきである。
(二) ところで、事案の概要二の2の(三)、3の(一)、(二)及び(四)で認定した被告の一連の行為は、被告自ら又は被告の事務所に所属する弁護士を介して、日産建設の側に立って原告ないし原告代表者を相手方として行動するものであり、いずれも原告の利益に反するものであって委任契約の趣旨に反する可能性があるから、債務不履行を構成する可能性があるといわざるをえない。
しかし、本件訴訟において原告らが主張する損害は、日産建設が本件基本契約に基づく原告の搬入する産業廃棄物の受入義務を履行しなかったこと自体による損害であるか、同社の本件和解契約に基づく右義務の不履行自体による損害であって、被告の右行為によって生じた損害と認めることはできない(なお、原告は、法人であって、被告の行為によって精神的損害を被ったとも認めがたい。)。
三 結論
以上によれば、そのほかの点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井 俊 裁判官 大西達夫)
裁判官 堀 晴美は、転補のため署名捺印することができない。
(裁判長裁判官 岩井 俊)